♯ 二度
ぐいぐいと首に掌を押し付け食い込ませても、彼の表情は揺らがない。
少年は息苦しさに喘ぐ。
喉の奥がひりひりと焦れている。
全身は冷たい汗にぬれていて。
「苦しい、よ。ネク君」
「……」
「苦しい」
「嘘だ」
彼はふっと微笑みをもらす。
「うん、嘘だ」
少年は腕に力をこめる。震えはもう隠せない。
彼は全身を弛緩させ倒れたまま、少年のしたいようにさせている。
彼を衝動のままに突き倒しその上に跨り、抵抗を封じて両の掌で首を絞めても、少年は徐々に逆に追い詰められていく。
呼吸は不規則に早まる。
彼は億劫そうに投げ出した腕をあげ、一度自分の頬にふれてから少年の頬に指を這わせた。
少年の肩がはねる。
「らしくないね」
掌はすでに首からはがされている。
呆然としてしまった少年に苦笑をこぼして、彼は少年を押しのけて体を起こした。
起こして、なお動かない少年をためらいもせず抱き寄せる。
高めの体温が服をこして伝播する。
肩口が温く湿ってくる。
「ほらネク君、泣かないで。いいこいいこ」
「ばかにすんな」
「してないよ。だから、泣かないで」
静かにしみるような声だった。
とっさに少年はしがみつくように彼の服の裾を握りこむ。
「いつかお前は俺を裏切るような気がする」
「……うん」
いつものように茶化してくれればよかった。
いつもはむかつくけど、今だけは救われたかもしれなかったのに。
彼はただ頷いてみせただけだった。
「俺は、お前が嫌いだ。大嫌いだ。殺してやりたい」
「うん」
「でも、無理なんだ」
涙の気配が喉に絡んで言葉を詰まらせる。
途切れ途切れ話す少年に、彼は頷くことしかしない。
「だから、お前は謝れよ」
「うん」
「そしたら、俺は、許せる気がする」
「うん」
「だから、――謝れよ」
「うん……」
彼は優しく少年の指を解いて、躰を離した。
行方を追ってあげられた少年の顔を掌で包んで、彼は唇に唇を寄せる。
目は伏せられる。
そうして視線は交わらない。
「僕が死んだら、いいよ」
吐息で語られる言葉が答えだと気付くまでに数秒かかった。
「死ねばいい」
二度目の口付けで誤魔化そうとする彼の腕を少年は払う。
彼の唇も、掌も、何もかもがしみるように冷たくて、少年は二度目の殺意に震えていた。
***
俺はお前を許したいのに、どうしてそれを許してくれないんだ。
*****
すれ違い。矛盾。
許容するにはまだ子供過ぎるんだ。
(まさか、そんな言い訳なんて、そんな、)
070928
♯ 外出届け(アナザーデイ)
夜になっても渋谷の喧騒は休むことを知らない。
自転車操業という言葉を思い出す。確か社会の授業で聞いた単語。
本来の意味とは違うかもしれないけれど、この街にも当てはまる気がする。
まるで闇に飲み込まれるのを恐れているみたいに、朝も昼も夜も騒がしさを保ち続ける。
ぐるぐる同じところを回り続けるように人が絶え間なく流れていく。
ネクにはその一人ひとりの区別がすでについていない。全員同じ顔、同じ人に見えてしまう。
ネクは軽く頭を振って、手元の単語帳に目を落とした。
明日は英語の単語テスト。とりあえず、せめて半分くらいは取れるようにしないと。
本当だったらさっさと家に帰って机に向かいたいところだ。こんな落ち着かない場所では覚えられるものも覚えられない。
帰るという選択肢を天秤にのせた。ポケットからケータイを出してメールを開く。
天秤の片側には相変わらず約束があって、揺るがない確かさで重さを主張している。
メールの文面を見て、ネクはため息をつく。約束の時間の十分前。ハチ公の前で、結局ネクは動かない。単語帳を最後までめくって、もう一度最初からめくり始める。その繰り返し。
三回繰り返したところで、単語帳は横からさらわれる。
「ネク君が勉強してるとこ、初めて見た」
「――返せよ」
「だーめ」
ネクが睨みつけた先で、ふわふわとヨシュアは笑っていた。単語帳をめくってから、ポケットへ隠してしまう。
「これからは僕との時間なんだから。勉強なんて忘れちゃってよ」
「明日テストなんだよ」
「大丈夫。ネク君なら合格だよ。どうしてもだめなら、僕にメールくれれば教えてあげるから」
「それカンニングだろ?」
「バレなきゃいいんだよ」
するり、とヨシュアはネクの腕に腕を絡める。
振り払おうと思ったが、すりよってくる体が思いの外冷たくて、驚いている間に何となく、ネクは機会を失ってしまう。
ヨシュアは甘えるような、挑発するような、まるで猫みたいに光る瞳で見つめてくる。
「で? どうして明日テストなのに、僕の誘いを断らなかったの?」
「……お前が、マブスラの話聞きたいかって言ったから」
ヨシュアは乱暴に息を吐く。
「なーんだ。つまんないの。嘘ついてくれたほうが、僕の機嫌も良くなって、いろいろ話してあげちゃうかもしれないのにね」
「はあ? 例えばどんなだよ」
「んー、そうだね。僕に会いたかったから、とか」
「……馬鹿らしい」
「ひどいな」
ヨシュアは高い声で笑う。ネクは半目になりながらも、絡められた腕を振り払えない。
「まあいいや。行こう。とりあえず、どっかにはいって何か食べようよ」
僕おなかすいちゃった、と腕を引かれて、ネクも歩き出す。周りには自分たちはどう映るのか、少しだけ考えて、すぐにどうでも良くなった。
「喫茶店でよかったら、いつも行くところがある。……ここからだと遠いけど」
「へえ? ネク君が喫茶店ね。いいね、そこにエスコートしてよ」
「はいはい」
他人から見て、きっと今の自分たちはただの仲の良い友達同士だろう。
そう思うとほっとするような、残念なような、とになくよくわからないもやもやとしたものが胸をふさぐようで、こっそりため息をついた。
*****
9月が終わってしまうため大慌てで書きました。
しかし9月が終わるからといって、何があるわけでもないことは確か。
070930