♯ 雨模様
ばたばたと雨音がヘッドホンの向こう側からしている。
地面には水たまり、空には光。
天気雨なんて、何か悪い冗談のようだ。
思わず俺はとなりのやつの手を掴んで走り出す。
「ネク君?」
「雨、ぬれるだろ!」
夕立なのかもしれない。そういえばそんな時間帯。すぐに止むことを予感させる様に雨足は急速に強まる。
俺はトワレコまで行くか、いったん戻るか、一瞬悩んで結局ガード下を選んだ。
頭を叩く雨の感触がなくなる。雨音も小さくなる。
ガード下に他に人はいない。
「ネク君」
「何だよ」
「手」
「……」
息を少しだけ弾ませて、ヨシュアが俺を見ていた。相変わらず笑ってる。
その笑い方、俺は好きじゃない。
いらいらする。よくわからないけど。いらいらってほど確かなものでもないけど、でも、なんかひっかかる。
ちくちくと微妙に刺激されてそれが煩わしい。
見ていたくなくて顔を背ける。ついでに手も離す。
「悪かったな」
「え? 僕はうれしかったけど」
「あっそ」
「そう。ネク君から繋いでくれるなんて思わなかったし」
別に繋ぎたかったわけじゃねえよ。
言い返そうとして、けれどはりつけられたように変わらない笑いを見てその気も失せる。
ため息をついて、適当な場所に壁に寄りかかって座り込んだ。
当然のようにヨシュアがすぐとなりに座ってくるから、俺はじりじりと距離をとる。
「ひっどいなぁ」
ヨシュアは笑っている。
「やなんだよ。他人の体温って」
俺はたぶんつまらなそうな顔してる。
しばらく俺もヨシュアも何も言わない時間があった。その間に俺は、何となくガード下の中を見回して、置いてあった花を見つける。
交通事故でもあったのだろうか。神妙な気持ちになる。
ここで死んだ誰かについてほんの少しだけ考えて、シキについて思い出す。
それから俺の死に際について考えて、ヨシュアについて考えた。ヨシュアの方を見たら目をつむっていた。眠っているのかどうかはわからない。こいつのことだからただ目をつむっているだけかもしれないし。
俺は前を見て、そして同じように目を閉じた。
ヘッドホンの音量を落とす。
雨の音がした。ぱたぱたと、雨の音。
ここは静かだ。世界に俺しかいないんじゃないかという錯覚。
目をつむれば何も見えない。
音楽をとめれば雨音が支配。
静かな世界で、もしかしたら願いが叶ったのかもしれないと思った。
世界は俺ひとりいれば構わない。
誰か、なんていらない。
そうだ、俺は他人なんか要らない。
ただ、いてほしいと、思ったことが一度だけあって、でも、あいつは――。
ぱらぱらと雨音が不規則にする。ぱらぱらと雨音が規則的に鳴る。
俺の思考は深いところに落ちていく。
あいつって、誰だ。
「ねーくーくん」
寝起きは最悪だった。
目を開ければドアップのヨシュアの顔。
近い近い近い近い。
俺はヨシュアから身を引いて立ち上がる。
ガード下の向こうはすでに晴れていて、雨音なんかしなかった。
「ねぼすけさん。晴れたからもういこうよ。せっかく羽狛さんにケータイ直してもらったんだし」
俺は無言で歩き出して、足音がついてくる。
そして俺は、ガード下から出て足を止めた。
「うわ……」
地面がぬれていた。それは鏡みたいになって一様に空を映していた。
広い車道が空色に染まる。
たくさんの人が水をはね散らかして歩く。
雫がいちいちきらきら光る。
よくある光景のはずなのに俺は、その様子にただ驚いていた。
「たまにさ、」
ヨシュアが俺のとなりに並ぶ。前髪をいじって、話しかけてくる。
「たまにさ、思いがけないところで世界って綺麗だよね。ふだんはあんなに汚いのに。どうしようもなく、綺麗だね」
「……ああ」
「人間も、そうかもしれないよね」
「え?」
俺はヨシュアを見て、ヨシュアも俺を見た。
相変わらずヨシュアは笑っていたけれど、いつもとは何となく違う笑い方だった。
どこか大人びた笑い方だった。
「醜いのにね。でも、綺麗なんだよ」
俺は、うつむく。
他人なんていらない。世界には、俺一人で構わない。
けれど、それじゃ。
「……違うんだよな」
「……」
「誰かいるから、他にいるから、だから……」
羽狛さんの言っていた、『今を楽しめ』。
わからなかった答えに届きそうで、でもそれ以上は言葉にならなかった。
もどかしくて、苦しくなった。
ただわかるのは、世界に一人でいたいという、昔からの願いが、俺の中で薄れてきてることだけだった。
くす、と笑う音がする。
「いいんだよ別に。無理しなくったって」
「……」
「行くよ」
ヨシュアが歩く。俺も歩く。
見上げた空も見下ろす足元も、同じように水色で、同じように綺麗だ。
*
探し物の途中の出来事。
*****
アイツとの話を、いつか捏造するやも知れませんね。
どんな性格なんでしょうか。
あのネクに心を許してもらえるくらいだから、結構大物かな。
ヨシュアとは違う性格な気がします。
私の予想ではザックス属性(どちらにしろ遠慮せず他人の中に入ってくる人)。
070906
♯ Calling
晴れた日は世界が光って見える。
ヘッドホンをはずして歩く街は、心地良いさわがしさで満ちている。
下を向いてばかりじゃ気付けないことにも、こんな簡単に届くようになった。
そう考えると、あの数週間の経験は、辛いばかりでもなかったかも知れない。
俺の街に帰ってきてから、ようやくそれが、わかった気がする。
みんなとはちょくちょく会ってる。何をするわけじゃないけど、集まっては話をする。たまに店に入って買い物したり、映画観に行ったり。だいたいがシキの提案で、ライムが賛成して俺とビイトがついてくことになる。
そういえばたまにだけど、ビイトがスケボーを見せてくれる。やっぱすごくうまい。ビイトは楽しそうで、いっしょにいるライムも楽しそうだ。
シキは姿が違くてもシキだと思う。エリってやつとは今もいっしょに服作ってるって言ってた。
あれから何回か羽狛さんのところにも行ったけど、ずっと店は休みだ。定休日って札がずっと出てる。羽狛さんは、嘘吐きだ。
でもきっとどこかでCATとして活動してるんじゃないかって思う。俺はCATの新作を楽しみにしてる。
きっといつか、店も開いてて、何もなかったようにまた羽狛さんがコーヒーを入れてくれる気がしてる。
宇田川町。壁グラ前。一人の少年が、学校の帰りに寄り道中。
少年は気が済むまでグラフィティを眺めた後、壁に寄りかかり座り込んだ。既に何度か左右を確認している自分に気付き、その度にため息をつく。呆れは諦めに変わり始めている。
座り込んだ少年は、しばらくぼんやりと空を見上げ、それから思い付きでかばんからノートと黒ペンを取り出す。
何となくで書き始めた手紙は、いつのまにか2ページ目になろうとしている。
俺、あれから、街を歩いているときに人混みを見回すクセがついたんだ。どっかにお前がいるんじゃないかって、そんな馬鹿げた希望を俺は捨てきれない。
今どこにいるんだ。何してるんだ。俺はお前に聞きたいことがたくさんある。それなのに、逃げるなんて卑怯じゃないか?
一発くらい殴らせろよ。お前は俺を二発撃ったんだから、別にいいだろ。
そしたら、もしかしたら俺、
お前のこと、
突然、その先が書けなくなった。
3ページ目の途中だった。
少年は手紙とも言えない文章を、一度最初から読んでみて、ページをノートから切り取った。
もう一度、読み返す。
こんな言葉はどこにも届かない。
そして少年は手紙を破く。細かくなったそれを、両手をあげてばらまいた。
欠片のいくつかは風にさらわれていく。いくつかは降ってくる。ひらひらと軽く舞いながら。
一部は風に巻き上げられる。
一部は軽く舞いながら降る。
少年はぼんやりとその様子を見つめている。
日が高いところにある。
短く蹲る少年の影の上を、鳥か何かの影が重なって横切っていった。
千切れた言葉の欠片たちは、小さすぎて、影も作らない。
死神のグラフィティを背に、少年は空を見上げて立ち尽くしている。
*
探し物をしよう。
*****
最後のヨシュアとのゲームのエントリー料は『友達としてのヨシュア』ではないか、
という意見を目にしました。
納得できる反面、それではもう二人は会うことはないので、認めたくないのです。
070906