♯ 夢中


夢を見たくて目を閉じても、そこにあるのは底なしの闇だった。
ぽつりと白く浮かび上がる僕は、空間の中まるで異質なひとつの染みだった。
どこへ行ってもどこまでいっての終わらない闇にいい加減僕は疲れる。僕は世界に飽きて世界を見放す。
それでもね、駄目なんだ。何回やっても何度作り直してもうまくいかない。
気が狂いそうなほどの時間をかけて作り変え続けて、何度も何度も塗り替えても閉じた瞼の裏は底なしの闇だった。
夢が見たくて歌を歌っても、それはどこにも届かない。
どんなに声をはりあげても声が嗄れるまで繰り返しても、歌はどこにも届かない。僕自身にも響かない。
目を閉じて。耳を塞いで。繰り返し続けるのは崩壊と再構築。口ずさむのはいつかどこかできいたうた。
壊して創ることしか出来ない。歌はひとつしか歌えない。
気が狂いそうにひとりだった。瞼の裏は黒かった。
夢を見たいだけだった。
お守りのように大切に、もう失くしてしまわないようにひとつのうたを口ずさむ。
このうたをなくしてしまえば、もう何も残らない。
恐怖というものを初めて知ったように、僕はただただ怖かった。



緩くゆすられて僕は肩に触れる掌をつかまえる。手は驚いたように退かれるが、それでも逃げられないように強く掴んで目を開く。
開いた視界には空。仰向けの僕は君の顔を見つけて、そのまま腕を強くひく。

「うわ」

バランスを崩す君。倒れこんでくる、どん、と降ってくる重みが一瞬呼吸を圧迫して、その痛みに安心した。
のしかかる重みをぎゅっと抱きしめる。ぬいぐるみでも抱くようにぎゅっと。とくとくと伝わるのが君の鼓動。耳鳴りのように鳴るのが僕の音。

「怖い夢を見たんだ」

抵抗のようなものを見せていた君がふと大人しくなる。君はどうしようもなくやさしい人間なんだ。本当は。本当にやさしい人間なんだよ、君は。
傷付いた振りをすればいい。そうすれば君は、僕を放ってはおけないんだ。
そんな打算に嫌気がさす。それでもこのやさしさに甘えていたい。
今は。少なくとも今だけは。
君は僕の腕の中で大人しい。

「僕をひとりにさせないで」

この言葉が呪いになれば良いと、ただ強く、強く願う。
呪いでもいい。何でもいい。
君が側にいてくれるなら、それだけで僕はもう何でもいいんだ。
頭の中で鳴り続ける歌がある。
あれはきっと、いつか君が歌った歌。
ひとつしか知らないその歌を、まるで何かの呪文のように、ただひたすらに繰り返す。
今は確かにこの腕の中にいるやさしさに甘えて、彼の肩に頬を寄せた。
なんだか染みるようにあたたかくて、どうしようもなく苦しかった。


*****



080505










♯ 


「自惚れんなよ」

そう、告げる音は彼らしくなく冷たい仄暗さをはらんでいた。

「俺はお前のことなんか、嫌いでも何でもない」

じくりと胸の奥が腐っていくようだ。



好きの反対は嫌い。嫌いの反対は好き。
そんな単純な理屈がまかり通る世界なら正直、生きていくのは至極簡単だろうし、同時に生きていくのはどうしようもなく退屈だろう。
それでも今ほどそんな単純な理屈が通用すればと思ったことはない。
もしそうであれば、彼の言葉はある種の告白になる気がした。
でもそうではないから、僕はほんの少しだけ痛んだ肺に努めて慎重に空気を吸い込み、溜息に乗せて苦笑する。
笑えていればそれでいい。
笑ってくれればどんなにか。



俺はお前のこと嫌いでも何でもない。

そんな台詞、聞きたくなんてきっとなかった。



俺にも俺の過去があって、お前にはお前の過去がある。
俺には俺の世界があって、お前にもお前の世界がある。
それは考えるまでもなく当たり前のことで、俺の知っているお前が、俺から見えているお前が、お前の全てであるはずないなんて当然だ。
それでも胸に広がった衝撃は本物で、誤魔化しもきかず取り繕うこともできず、じゃあ俺は次の瞬間をどうやり過ごせばいいんだよ。
素直になればいいとお前は笑う。
そんなこと、出来るならとっくにしているというのに。
俺の知らないお前がいるのが気にくわないんだ。
そんな馬鹿げた台詞、正気の沙汰ではきっと言えない。



「自惚れんなよ」

それは俺自身に。そしてお前に。

「俺はお前のことなんか、嫌いでも何でもない」

ほんの少しの嘘と奥底に仕舞い込む本音。
目を見開いて、それから切れ長の目をもっと細くして、溜息。
微笑。
ああ、どうにかなってしまいそうな、胸の奥。



自惚れるな。俺は、お前にとって何者でもないただの子供だ。
自惚れるな。俺はお前のこと、嫌いじゃない。
一番嫌いなのは俺自身だ。
このどうしようもない、俺自身。



とろとろと睨みつけて、微かに微かに笑いかけられる。
そんな目で俺を見てくれるなよ。
自惚れるな。
俺の中心、奥の奥に必死で隠してしまいこむ願望。
俺の知らないお前がいることに苛立つ自分自身。
これならひたすらに隠してくれればよかったのに。
見当違いの恨みをこめて、お前を睨む。

俺に見せてくれているお前がお前の全てであると、勘違いさせたままでいてくれたら、どんなにか。


*
コンプレックスとアーティフィシャル、

*****
否定の反対の否定を。



080506