♯ 僕らの世界論
「僕らは――」
「え?」
「狭い世界にいれたらいいのに。狭い世界にひとりきりで。ひとりなら何もないのに。傷つくことも苦しくなることも」
「……かもな」
「ひとりで生きていけばいいのに」
「でも、それは違うだろ」
「うん、……ネク君が言うならそうかもね」
見上げれば空は青く晴れていたはずなのに、ネクはヨシュアから目を逸らせずに、なんとなくなんとなくその場に立ち尽くしていた。
ヨシュアは正面に視線を固定している。
そこには自分がいるはずなのに、ネクには、どうしてもヨシュアが自分を見ているようには思えなかった。
ヨシュアの視線が自分をすり抜けていくようで、わずかに寒気を感じて片腕を抱く。
ヨシュアは無表情に少しだけ唇を持ち上げたような、そんな薄っぺらい笑みを貼り付けている。
ヨシュアの笑い方はいつでも嘘くさいとネクは思う。
その理由が今わかった。
ヨシュアは口元だけで笑う。
そして目が笑ってはいないのだ。
瞳の奥底は冷え切っている。
また、寒気。
ヨシュアは口元だけで微笑んでいる。
その表情からネクは勝手に感情を拾い上げていく。
無感情、無関心、でもその他に、諦めや悲しみがあるような気がするのは何でだろう。
たまらなくなってネクはヨシュアに手のひらを差し出した。
そこでようやくヨシュアの、仮面めいた表情が崩れた。
それまでのどこか人間離れしたような雰囲気が消え、そこには年相応の子供のように、不思議そうに首を傾げて見せるヨシュアがいた。
「なに? これは」
「こっち、来いよ。そこは寒いだろ」
同じ地面の上に立っているはずなのに、ネクとヨシュアの間には明確な線引きがされている。
ヨシュアは建物の影の中からきょとんとネクと手のひらを見ている。
ネクは苛烈な夏の陽射しの中で、すがるような気持ちで手のひらを差し出している。
「こっち、来いよ」
同じ地面の上のはずだ。なのに、まるで見えない壁でもあるような距離感の錯覚を嘘だと自分に言い聞かせ、ネクは腕をのばす。
じりじりと時間が遅く流れていく。
ヨシュアは先ほどとは違う笑いを浮かべ、一度うつむいてから再びネクを見た。
口元で淡く笑っているが、相変わらず目は笑っていない。
今度は困ったように眉がおとされている。それを見て、ネクは悲しいな、と思う。
こういうときこそ笑えばいいのに。
嘘でもいいから、笑えばいいのに。
ヨシュアの指先がかすかに動く。
「ネク君は、やさしいんだね」
優しく言われたのに、突き放すような響きだった。
それでもネクはひかない。何も言わずに手をのばし、同じようにヨシュアが手をのばすことを待っている。
それを見てヨシュアはうれしそうに笑みを深くした。
「うん、僕はね、きっと、ネク君がこうして手をのばしてくれる限りは、君の側にいたいと思うんだ」
ふわり、手のひらと手のひらが重なる。
そのまま手のひらを掴み、腕をひく。
それだけの動作でヨシュアは境界を越えて、ネクの隣に立っている。
二人はなんとなく顔を見合わせ、お互いに困ったように笑ってみた。
「ひとりっきりだと傷つくことも苦しくなることもないっていったよな」
「うん」
「でもそれだと、本当に何もないだろ。俺は、そんな世界はごめんだな」
「まあ、ネク君がそういうなら、そうなのかもね」
「なんだよそれ」
「ネク君の意思を尊重してあげよう、ってこと」
手をつないだままぽつりぽつりと言葉を交わす。
越えた境界を足元に、二人で見上げた空は青く晴れていた。
*****
リハビリ中です。
ともあれ、いちおう今年初めてのお話(ゴミ箱はノーカン)。
よろしければ、今年もよろしくお願いします。
080104
♯ 試験勉強期間中
何も自分がしたいからするわけではないのだ。
これは、そう。羽狛さんに言われたからだ。
だから断じて自分の希望ではない、と強く心の中で思ってネクはケータイのボタンを押していく。
空白。のち、電子音。
繋がるのは最近会えていないアイツの声。
試験なんだって? から始まり、適当にがんばれと続ける。
ついでのように勉強のはかどり具合を聞けばいつもの、それでいてどことなく乾いたような笑いだけが返ってくる。
思わずため息をついたら文句を言われる。
おざなりにがんばれよを繰り返す。
「何、それ。もっと心の底から言ってくれないとやる気なんて出ないよ」
「ちゃんと心から言ってるだろ」
「心で言ったことでも、心から言ったことではないでしょ」
「……ムカつくヤツだな」
嫌だなぁ、元からでしょう? なんて言われてしまえば返す言葉をなくす。
そもそも何のための電話かを見失いつつある。
これだから、こいつの相手は苦手なのだ。
「それにしても、ネク君から電話なんて、ね」
弾む声はからかいを含んでいるように感じられて思わず顔が赤くなる。
羽狛さんが、とまで言いかけて口をつぐむ。
羽狛さんが、何だ? 羽狛さんに言われたら俺はコイツに電話をするのか?
意味がわからない。
顔が熱い。電話越し、というのが唯一の救いかもしれない。
とりあえず勉強はしろよ、とだけ伝えて通話を切ろうと思った。
そこに言葉をを差し込まれる。
気が狂いそうだよ、とだれた声で言う。
ネク君に会えなくて、と吐息で告げられる。
「……勉強が嫌なだけだろ」
くすくすと笑い声しか帰ってこなかった。
もうどう返していいのかわからない。
「じゃあな!」
乱暴に言って、流れなんか無視でボタンを押した。
とりあえずヨシュアという人間は、電話越しだろうがなんだろうが、話していてムカつくヤツだとネクは思う。
見つめる視線の先で、からりと氷が解けて音を立てた。
思わずため息が出てしまう。
もともと自分にはこらえ性がない。これは昔からのことだし重々承知だ。
だからこういう時間が苦痛で苦痛で仕方がない。
またため息。さっきよりも長く深く。
そこで、不意にケータイの電子音が鳴り響く。
繋がる声は、最近会えていなかった彼だった。
声を聞いて、言葉を返す。
不機嫌な気配に笑いをこぼす。
いつの間にか、疲れた心は癒されていく。
気が狂いそうだよ、とだれた声で言った。
ネク君に会えなくて、と吐息で告げた。
「……勉強が嫌なだけだろ」
くすくすと笑えば、乱暴に通話を切られてしまった。
そのわかりやすい反応に、沈黙するケータイを片手にまだ笑いは収まりそうにない。
(本心なのにね)
(でもネク君がそう思いたいなら、それでいいよ)
一歩ずつ一歩ずつ進んでいこう。
君に合わせて、ゆっくりと。
とりあえずは、目の前の書類を片さなければいけない。
どういうわけか自分は試験期間中、ということになっているらしいから、次に会うときまでに適当な話をでっち上げて。
そう考えると、おそらく電話をするようにと助言してくれた羽狛さんに感謝しつつ、適当な設定をこしらえてくれちゃってと呆れる気持ちも生まれてくる。
どちらにしろこれは、電話が来る前まではなかった余裕というやつだろう。
出来ることからがんばろうかな、と柄にもなく考えて、ヨシュアはペンを握り書類にさらりと滑らせた。
*
その後の世界かもしれない。アナザーデーかもしれない。
*****
試験中に書いた二行の文章が元です。
ちなみによしやは、試験は勉強しなくても出来ちゃう子だと思います。
080120