♯ thank you for You
ばん、とびっくりするほど派手でかつ安っぽい音がして、ああ、今俺は怒ってたんだな、と他人事めいた感想が浮かんだ。
なんてことはない、他の誰でもない、俺が壁を殴りつけた音だ。握り込んだ右手がじわりと遅れて痛み出す。
人が来るかもしれない、と思った。今の音で。不意に冷静さが戻ってくる。ここは試合会場から多少離れてるとはいえ、意識すれば人のざわめきが聞こえてくる程度には近いのだ。一気に頭から熱がひいた。でもそれは消えることはなくて、かわりに腹の底でじりじりとくすぶっている。
俺が睨みつけた先のヨシュアはいつもより目を大きくして俺を見て、ゆっくりと一度瞬きをした。それから、ゆるりと微笑む。心底うれしそうに。
「決勝進出おめでとう」
一瞬、何を言われたのかがわからなかった。
やっぱり理解も遅れてやってくる。痛みといっしょだ。じわり、じわり。
ふざけんな。
「うん?」
ヨシュアが微笑を崩さずに軽く首を傾けてみせる。それで俺は自分が実際に言葉を音にしていたことに遅れて気付く。そして、もう一度言う。
ふざけんな。
「なんで、どうして! あそこで一歩退いたんだ!!」
俺はヨシュアに詰め寄って、それでも笑みを崩さないヨシュアに再び苛立ち、勢いに任せて伸ばした手で襟首を掴んだ。
今までになく近い距離にヨシュアの瞳がある。その瞳が俺を映して、不意に色を変えた。
す、とおだやかな気配が消えて、それは不思議な色になる。
どこか冷たい底なしの紫。
試合の時と同じだった。
だからこそ、俺にはコイツが理解できない。
あの場面は明確に俺のミスだった。コイツは、ただバッジを叩きつければよかったんだ。
それで勝負が決まったわけではない。俺の負けが確定するわけではない。ただ、確実に俺の不利だった。ヨシュアの有利だった。
なのに、その大事な場面で、コイツは攻撃をしてこなかった。
結果はどうだ。互いに残りのバッジはなく、ポイント差で俺の勝ち。
俺は確かに勝ちたいと思っていた。
でも、同じくらい強く、コイツと本気で戦ってみたいと思ってたんだ。
だからこそ、あの場面で攻撃してこなかったコイツが理解できない。その不可解を許せない。
「どうして手を抜いたんだ」
呟きは低い声になった。ぎり、と噛みしめた奥歯がきしむ。襟元を締めあげているのは俺のほうなのになぜだか苦しい。顔が歪むのがおさえられない。
ヨシュアは涼しい表情で俺を見下ろしている。緊張。停滞。何も言わないし、何も言えない、間。
じりじりと腹の底で焦げる苛立ちが俺を責め立てて、それでも、次に続けるべき言葉が見つからない。
いつになく近い距離で睨みつけた瞳がゆっくりと瞬く。
もう一度。
「敵わないな、って」
「なに!?」
とっさに、聞き返した。瞬きを繰り返す目元がふとゆるんだ。
遅れて、唇がまた笑みの形を作るのを俺は見た。
「敵わないな、って思ったんだ。君に。僕は、あの時確かに」
だからつまらないミスをしたんだ。
ただ、それだけだよ、とヨシュアが告げる。静かに、静かに、落ち着いた声で。
だから俺は、納得できないながらも手を離す。ヨシュアは芝居がかったような仕草で前髪を払い、無抵抗にぶら下げていた手を乱れた襟元にもっていく。
「そんなの、信じられるかよ」
ヨシュアの視線を真っ直ぐに受け止められなくて目をそらした。ヨシュアは襟を整える手を止めてくすりと笑った。
「ダークに信じてもらえないと辛い、かな」
「だから、ダークって呼ぶなよ」
ぼそぼそと言う。ダメだ、これじゃ完全に聞き分けの悪い子供みたいじゃないか。
ヨシュアは平然と微笑んで目の前に立っている。
その表情に含むものは、ない。これは俺の気のせいかもしれないけど、小気味よいある種のすがすがしさみたいのが視線の奥に潜んでる。
俺は、知ってる。
それは、たとえ勝負に負けたとしても、全力を尽くしたときのものだって。
だから俺はヨシュアの言葉を信じるしかなくなって、じっとうれしそうに俺を見てくるヨシュアの前で、ただ黙り込むしかなくなってしまう。
そんな俺にヨシュアは、ため息でもつくように小さく呟いた。
「楽しかったよ、ネク君」
その言葉をかき消して、ぱたぱたと足音が駆けてきた。
姿を見せたのはシキとライム。
「あー、もう! こんなところいた! もう、二人っきりで何のんびりしてんの!」
「早く早く。もうすぐ決勝始まっちゃうよ!」
続いてどたばたと騒がしい足音。
「だぁぁぁ! ほらダーク、さっさと来いよ!」
「だからダークじゃないって!」
無理矢理俺の腕をひいて走り出そうとするビイトからどうにか逃れて、耳をすませてみると遠くで俺を呼ぶアナウンスが聞こえた。思った以上に時間が経っているみたいだ。
少し慌てて会場に向かうみんなの後を追う。軽い足音が駆け寄ってきて、小走りになる俺にヨシュアが並んだ。
「僕はね、君と本気で勝負してみたいと思ってたけど、同じくらい強く、もう一度レッドとブルーの戦いが見たいと思ってたんだよ」
ちらりと視線を横に流す。挑戦的な笑みがそこにはあって、ぽん、と肩をたたかれる。
「ダークは僕に勝ったんだからね。だから絶対、負けないでよね」
だから俺も、できるだけ不敵に笑って言ってやる。
「当然だろ!」
シキやライム、ビイトに続いて俺とヨシュアは会場に入る。わきあがる歓声に思わず背筋が伸びる。
アナウンスに導かれてステージへ。
一度だけ振り返ると、やっぱりヨシュアは予想通り笑っている。瞳はどこか冷たい底なしの、不思議な色で俺を映す。
「もしも負けたら、ダークには僕のことちゃんと、ピンクって呼んでもらうからね」
「じゃあお前は、俺が勝ったらそのダークってのやめてもらうからな」
そんな約束はできないよなんてふざけたこと言うヨシュアを睨みつけ、けれどすぐににやりと不敵に笑い合った。
*
アナザーデイ、大会、リテイク、試合後、決勝前の一幕
( BGM:being )
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すばらしき発売半年、おめでとう!
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080127!