ケータイのバイブの低いうなり声で、ようやくもぞりと体を動かす。
こんな蒸し暑い昼間、それでもいつの間にか眠っていたことに気付いて驚いてしまう。とはいっても部屋はクーラーで快適で昼寝推奨空間はしっかり構築されていたのだが。
夢を見ていた気がするのに頭がぼんやりとして思い出せない。
寝転がったかたわら、開いたまま放置されたケータイを手探りでつかんで画面をのぞく。上部にメール新着のマーク。
アドレスは全く見知らぬものだった。
そのくせ件名は記憶を揺さぶるように懐かしいもので、ぼんやりとまどろむ思考が凍りつく。
ゆるゆると心拍が暴れだすような、喉元で心臓が鳴っているような急かされる気持ち。気持ちが悪いほど緊張している、自分自身。
落ち着け、落ち着けと呟くのがまるで無意味だった。指が過剰にボタンを押しこむ。
それでも、メールの本文が開かれる。
『壁グラ前、いつかみたいに待ち合わせ』
たっぷりと10回くらいはしつこく読み返して、読み込んで、飛び起きる。
うまく物が考えられない。
それでもそのまま、条件反射みたいに適当に、身支度を整えて部屋を飛び出して家を出て。
ぶわり、ドアを開けたときに流れ込んだ熱気に一瞬、怯む。
落ち着け。落ち着けるわけもなかったけど一度立ち止まって呟いてみる。
首にかけただけのヘッドフォンをなでて、何かの抵抗を振り切るように、足を出してそのまま駆け出す。
目的地はたった一つ。目指すものも、たった一つ。
この熱気だってどこか懐かしい。まとわりつくような湿度をはらんだ、都会の夏の温度だった。
どんな思い出があるの? って聞かれると正直困る。
目を閉じて思い浮かぶのは本当にたくさんの場面だ。それこそ走馬灯か何かのような勢いでぐるぐると記憶が回りだす。
あいつに殺された俺としては縁起でもない例えだと思ったが、同時に的確な例えだと思う。
あの夏のことは全部そうだ。あいつとのことだけじゃない、シキとだってビイトだって、まだまだ鮮明に記憶に刻み込まれていて、思い出そうとしなくてもふとした瞬間にいろいろな場面が回りだす。
じゃあどんな人だったの? こっちの質問の方が、俺には答えやすい。
勝手なヤツだったよ。俺は決まってそう言うと思う。
勝手なヤツだった。パートナーとか言っておきながら、あいつの中にはあいつの都合しか存在しない。
じゃあ俺はどうなるんだよ、と、きっと俺はそうやって苛立っていたんだ。今なら、何となくわかるような気がする。
となりにいるくせに、パートナーだとか言うくせに、俺を見ようとしないあいつが嫌いだった。信じさせてくれないあいつが嫌いだった。自分勝手なあいつが嫌いだった。
でも、だからこそ切望するのは再会だった。
あんなんでおしまいだなんて認められない。認めたくない。
だってそれじゃあ本当にあいつの都合しかないじゃないか。
勝手すぎる。そんな勝手は、許せない。
だからもう一度会いたいのだ。会って、言ってやりたいことが山ほどある。
だから走って、目指す先は、目指すものは、あの夏からいつだって今だってたった一つ。
いつかみたいに、とは、一体いつのことなのか。俺にはお前と待ち合わせをした記憶はないんだけどな。
思いながら強すぎる陽射しの下で、道の真ん中で、腕を広げて仰向けに倒れこむ。
こうしているとまるで死んだみたいに静かな街だ。このへんは。車だって来ないから、俺は瞼の裏に陽射しを赤く透かして死に真似をしてみる。
このあたりで殺されたんだ。それにしても何で俺だったんだよ。突然銃で撃たれて馬鹿みたいだ。そんな非日常、マンガの中にしかないと思っていた。
殺されて苛立って、それでも最後、差し出された拳銃の引き金を引けなかったのはどうしてだろう。
あの瞬間、許せない、とただその言葉だけを脳内に反芻していた。その言葉しか知らないように、許せない、とそればかりを。
腹の底が焼け焦げるんじゃないかってくらいの強すぎる感情をもてあまして、拳銃を握る手のひらが震えた。本当は怖かったのかもしれない。引き金を引けなかったのはただ単に俺が臆病だったからかもしれない。
でもそれだけでもないはずなんだ。
あのときの腹の底の温度は本物だった。本気で、俺は苛立って、本気で俺は悲しかった。
そうだ、悲しかった。
お前と別れて俺は、悲しかったよ。
お前はあのとき泣いた俺をどう思う。どう思った? 笑っていた顔ばかりが思い出せる。馬鹿だな、って思ったのか。臆病者だと笑ったのか。
変な顔、って言ったとき、知ってたか?
お前だって相当変な顔だったぞ。
お前にしては相当、めずらしい顔をして俺を見ていた。
あんな人間らしい表情は初めてだったんじゃないのか?
だから俺はお前を諦められないんだよ。本当に、迷惑なことに。
あのときの涙の意味とか、苛立ちの理由とか、ひとつひとつを教えてやりたい。
お前が何をどう考えてあんなゲームをしていたのか、聞いても俺には理解できない話なのかもしれないけれど、それでも俺は聞いてみたいんだ。
お前の話が聞きたいな。
お前の言葉で。
お前の声で。
「何でネク君は、ここに来ちゃったんだろうね?」
「……悪いかよ」
「悪いかも」
瞼を開くとき、陽射しが強くて視界が暗く沈んでいた。
ゆっくりと、体を起こす。
声は上から降ってくる。
「――久しぶり」
「ほんとにな」
ふわふわとした灰色の髪が、射抜くようなこちらを見透かしてくるような紫の視線が、期待したとおりの姿でそこにあって猛烈に胸が痛んだ。喉の奥が引きつった。
この感情はなんだろう。懐かしい、にしては強すぎて、なんだか持て余してしまうような、おかしな感情。
本当は聞きたいことがたくさんあった。たとえば今までどうしてたんだ、とか。そのくせ何で突然、こんなメールを送りつけてきたんだ、とか。
でもそんな疑問を投げつけるには、距離が遠い。
ヨシュアは壁グラの上、まるでずっと前からそこにいたんだといわんばかりに悠然と、足を組んで座って俺を見下ろしている。
この距離は遠すぎる。
それならどの距離がいいのかと聞かれるときっと困るけれど、たぶん一番いいのは、となりにいてくれることだ。
あの夏みたいに、となりにいてくれる、そんな距離が一番いい。
俺はヨシュアに向かって腕を差し出す。
「こっち、こいよ」
「なんで?」
「首、疲れるだろ。降りて来いよ」
ヨシュアは動かない。俺は焦れて、でも腕は下ろさない。
にらみ合うような間にふとヨシュアが深く微笑む。
「差し述べてくれる腕は、一本だけなの?」
「はあ?」
ヨシュアは壁のてっぺんで座りなおして、足をふらふら泳がせてふわふわと笑っている。
その表情にからかいの色を見つけて、睨みつけて、それでもヨシュアの表情は変わらないからどうしたらいいんだよと八つ当たりじみて考えるうちに、ひとつの答えがひらめく。
ひらめいて反射的に顔が熱くなって、思わず苦い顔をする。
ヨシュアに見られていることを思い出して慌てて見上げると、そんな俺を気に留めた様子もなく相変わらずふわふわと笑っている。
しかしその笑い方が、さっきよりも楽しそうに見える。
当たり前だけどこいつ、わざとだな。思ってもう俺は眉を寄せるのを隠しはしない。
睨みつける鋭さを気にもせずにヨシュアは笑っている。
だから俺はため息を吐く。肺の中を空っぽにするような大きなやつ。
それで気がまぎれるわけでもなく、どんどん体内温度は上がっていく。のぼせそうだ。くらくらしてきた。
そのうちなんでもどうでもいいような気になって、投げやりな気持ちで、勢いにまかせて腕を両方とも、ヨシュアに向かって思い切り伸ばす。
「こいよ!」
「うん」
よく出来ました、とでも続きそうなくらいやさしく、そして優雅に微笑んでヨシュアが立ち上がる。
そのまま、何のためらいもなく壁を蹴る。
落下。
抱きとめる、とか、そんな。
「………………、だっ!」
「あらあら」
壁だってそれなりの高さがあるんだ。人間だって重いんだ。それが降ってきたらそれなりの衝撃になるんだ当たり前だろ。
それを、両手でしっかりと抱きとめて。
受け止め切れなかった衝撃のままに倒れこんで、それでもどうしてもこの手の中の重みは離したくなくって強く強く抱きしめた。
打ちつけた腰と後頭部のあたりが遅れてじんじんと熱を持ってくる。
なんだか涙目だ。
開いた視界はじんわりにじんで、そしてそこに、ヨシュアがいた。
「おかえり」
言葉は口を突いて出てきた。ヨシュアの目が丸く見開かれる。俺も自分が言ったことに驚いてしまう。
次に会ったときはきっと、文句ばかりをぶつけるに違いないと思っていた。
苛立ちは気付いてみればさっきからずっと続いている胸の痛みとか、ついでに今の腰と後頭部の痛みとかにまぎれて隠れてしまった。代わりになんだか言葉がつまるような衝動ばかりが意識されて参ってしまう。
ヨシュアはしばらく驚いたように硬直した後、笑った。
「ただいま」
いろいろな部分が痛むもんだからもう悲しいんだかうれしいんだかムカつくんだかの区別だってつかない。ただ感情ばかり大きくて、何の区別もなくぐるぐると混ざり合って最終的に胸を圧迫しているみたいだ。
打ちつけた部分の痛みがさっきまで心の隅でわだかまっていた不安を吹き飛ばした。
ヨシュアは今、ここにいる。
今確かにここにいる。
俺は倒れこんだまま、上にヨシュアに乗られているから起き上がることも出来ないまま、ただその重みに現実を感じる。ため息がこぼれる。
ヨシュアの向こうに空が見える。
ほんのりと灰色に曇った、それでも苛烈な陽射しを抱えて白く光る、初夏の空。
「ただいま」
もう一度ゆっくりと、呟いたヨシュアはいつかみたく、変な顔をして笑っていた。
人の顔をして、俺の手の届く距離で確かに笑っていた。
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1、(side neku)
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すばらしきこのせかい、一周年おめでとうございます!
そしてこのお話はもう少しだけ続きます。
よろしければ最後までお付き合いください。
080727!